はい。タイトルのとおり紹介します。
2004年に書かれた、泡沫候補の「唯一神又吉イエス」の学習塾時代の教え子による記事。今回、この記事を久し振りにみてこのブログ記事を書こうとしました。
中学も残り一年というある日のことだった。僕らの成績がアップしたことに自信をつけたのか、はたまた月謝が安すぎることに気がついたのか、先生は一大決心をした。手狭な掘っ立て小屋を捨て、もう少し広い貸し事務所に塾を引っ越したのだ。言って見れば人生の勝負にでたのである。月謝は少し上がったが、もともとが安いだけに気にはならなかった。変わりに先生はワゴン車を購入し、地元の生徒も片っ端から送り迎えするようになった。僕はあの掘っ立て小屋と別れるのはつらかったが、先生にもう少し儲けて欲しい気もしていたので、これは塾としては進むべき道だろうと理解した。
それは先生にとっての不幸の始まりでもあった。以前は見たこともない疲れっぷりだった。いろんな意味で限界を感じているようだった。高校受験が近づいたころ、先生は僕らの卒業をもって塾をたたむ考えがあることを口にした。
受験戦争への漠とした不安を抱いていた小学生時代の僕に、勉強の楽しさを教え、高校受験までの基礎学力と自信をつけてくれたその塾で、同時に僕は大人が挫折していく様を見た。それはなんともほろ苦い記憶である。そもそも又吉先生はなぜあんな掘っ立て小屋を借りて学習塾を始めたのだろうかと、大人になった今は思う。何やら複雑な事情はあったかも知れないけれども、なにかささやかな夢や希望を抱いていたのではと思う。あのまま、あの掘っ立て小屋を離れなければ、あんな挫折を見ることもなく、浮世離れした幸福感だけが僕らの思い出に焼き付いていたのかも知れない。先生もまた違う人生を歩んでいたかもしれない。
感想:泣ける。少年にとっての塾、当時は「大人」に見えた先生、「大人」になってから窺い知れる先生の心情。尊敬、心配、郷愁、それでも他者である先生との微妙な距離。最後の締めもよい。諸行無常。
感想:2017年にかかれた、有名ブロガー借金玉の記事。これで彼のブログのファンになった。賢い少年が「社会」を知る、非常に普遍性ある話。彼の商才と社会の把握能力がよくでている。個人的には「昔は体制と戦うのがライフワークだったタイプの曖昧なおじさん」たちとのやり取りが大好き。「社会をよくしている人」は、いいひとである。
いまはメンヘラ.jpの編集長として知られているわかり手の作品。ブログの作者を知る前からこの記事は繰り返し読んでいた。教育的示唆にも富んでおり、自分の生徒にも繰り返し印刷して読ませている。
「外部」を受け入れるということは、面白い人も、有益な人も、また彼らのように明らかにヤバい人をも受け入れるということです。それにはすごく痛みを伴うし、またコストもかかります。でも、そういうコストを支払い続けるしか「外部」を取り入れながら文化を作ることはできない。
本来の「大学」とはこういう組織です。大学とは自治組織であり、研究機関であり、なにより独自の文化を持つ「場」でした。その中で4年、5年、10年と清河も汚穢も飲み干していく中で、官僚が、学者が、法律家が、政治家が、所謂「エリート」たちが生まれてくるのです。
オックスブリッジやパリ大学やモスクワ大学やイェール大学には、星の数ほどの左翼や右翼や環境活動家や宗教活動家や宗教過激派や何にもカテゴライズできない「謎の人間」たちが生息しています。
感想:「大学」のあり方の「さまざまなひと」についての話。やはりこういった体験がないと、「社会について考える」ことは不可能だろうと思う。考えさせられる作品。
シェアハウス運営者の作者に「シェアハウス」を教えた、カルトグループ指導者の「ボッスン」の話。
不思議な魅力があり、容姿は普通、デブ、それでも女性にも異性としてモテていました。
風俗に行かせた女性たちは毎日出勤させられていました。生理であっても高熱であっても。その代わりバックとして25%もらっていました。女性の管理はできるわけです、何故なら住まいも確保して、しかもドミトリーから自分たちと一緒に住ませることで目の前で管理できるのです。その上、最も恐ろしいのはその女性たちが得た給料を全部もらっていました。もう一度言いますが、スカウトバックとして店から25%と、女性が店からもらっていた給料の全額をもらっていたのです。
感想:3の記事と合わせて読むと「京大吉田寮にいそうだなぁ」という感想を得ることができる。こういうあいまいな社会は珍しいものではなく、
イエスの方舟もそうだし、
オウム真理教もそうだった。もっといえば、えらいてんちょうの実家もそんな感じであり、広い意味ではエデンなどもそういう向きがないとはいえない。さまざまな人類がおり、さまざまな社会があるという話。
ブログに分類できない気もしますが、カクヨムに投稿された短編小説です。2の作者の借金玉に紹介されて読みました。私は小説はほとんど読まないのですが、これはえらい秀作だった。
わたしは目を閉じて、誰もいない自分の部屋を想像した。そこでフォルカスはゆっくりと動かなくなる。
感想:村上春樹よりうまい。読みやすく、示唆にとんでおり、文章が美しい。ストーリーに一切の無駄がなく、また不足もない。小説に可能性を感じた一作。
【まとめ】
名作はオチがすばらしいなぁ、と書いていて思いました。「ほったて小屋とイエス」の最後、「倫理的な死」の最後は特にすばらしい。自分もこんな記事を書いていきたい。今日はおわり。
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