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「貧困は社会のせいだ!」と信じて、生活保護申請随行のボランティアをしたら、クズばっかりだった話

【この記事はだいたい5分で読めます。】  人並みにマルクスなんか読みまして 「貧困は社会問題だ!政府のせいだ!国家の責任だ!」 と考えておりました若かりし頃の「えらいてんちょう」。 もやい や TENOHASHI (TENOHASHIでは炊き出しの手伝いのみを行っておりますので、誤解を招かぬように削除します。詳細:追記を参照。2017.6.5) でボランティアの経験を積むと、てんちょうに頼めば生活がなんとかなるらしい、と噂を聞きつけた若い生活困窮者が集まるようになりました。今回はそんな彼らのケーススタディー。  先に断っておきますが、生活保護者の大半は真面目につつましい生活を送っていることも存じており、生活保護は全員クズだとか、そういったことを言いたいわけではありません。 貧困は社会問題といっても、大半は本人の責任で、国家は立派にその役割を果たしている 、というのが今回の趣旨です。   【S(当時22歳)のケース】  Sは北海道出身で、私と同級生。北海道の大学を親に無断で中退した廉で勘当され、単身上京して職を転々としていました。住み込みの職が給与未払いで、住んでいたマンションにもいられなくなったため、生活保護を受給することになりました。   【大きな買い物をするわけではないが、普段の支出に無頓着】  総じて、 金の使い方がおかしいのが生活保護受給者の特徴 のひとつです。  生活保護のお金が支給されます。まずいくのは、コンビニです。 タバコを2箱と、レッドブルを2本 買います。また、酒を買います。 ウィスキーの中サイズ です。これでおよそ、 2500円 くらいです。腹もすいています。 オリジン弁当にいき、690円の弁 当 を買います。道中で喉が渇きました。 自動販売機で130円のジュース を買います。 一日4本 くらい買います。新宿にいて、居候先の池袋の私の家に帰ります。一日歩いて疲れたし、 タクシー を使って帰ります。 4000円です 。 こんな調子で、支給日から数日は 1日に10000円ほど支出 します。生活保護の支給金は、単身男性の場合、家賃別で 80000円強 です。当然お金がなくなります。1日に支給され、残高が3万円くらいになると、さすがに危機感を覚えるのか、 支出のベースが1日5000円 になります。それが3000円になり、200

えらいてんちょうが何回も読み返しているブログ記事5選



 はい。タイトルのとおり紹介します。

 1.僕とイエスと掘っ立て小屋(作者不詳)

 2004年に書かれた、泡沫候補の「唯一神又吉イエス」の学習塾時代の教え子による記事。今回、この記事を久し振りにみてこのブログ記事を書こうとしました。

 中学も残り一年というある日のことだった。僕らの成績がアップしたことに自信をつけたのか、はたまた月謝が安すぎることに気がついたのか、先生は一大決心をした。手狭な掘っ立て小屋を捨て、もう少し広い貸し事務所に塾を引っ越したのだ。言って見れば人生の勝負にでたのである。月謝は少し上がったが、もともとが安いだけに気にはならなかった。変わりに先生はワゴン車を購入し、地元の生徒も片っ端から送り迎えするようになった。僕はあの掘っ立て小屋と別れるのはつらかったが、先生にもう少し儲けて欲しい気もしていたので、これは塾としては進むべき道だろうと理解した。
 それは先生にとっての不幸の始まりでもあった。以前は見たこともない疲れっぷりだった。いろんな意味で限界を感じているようだった。高校受験が近づいたころ、先生は僕らの卒業をもって塾をたたむ考えがあることを口にした。

 受験戦争への漠とした不安を抱いていた小学生時代の僕に、勉強の楽しさを教え、高校受験までの基礎学力と自信をつけてくれたその塾で、同時に僕は大人が挫折していく様を見た。それはなんともほろ苦い記憶である。そもそも又吉先生はなぜあんな掘っ立て小屋を借りて学習塾を始めたのだろうかと、大人になった今は思う。何やら複雑な事情はあったかも知れないけれども、なにかささやかな夢や希望を抱いていたのではと思う。あのまま、あの掘っ立て小屋を離れなければ、あんな挫折を見ることもなく、浮世離れした幸福感だけが僕らの思い出に焼き付いていたのかも知れない。先生もまた違う人生を歩んでいたかもしれない。

 感想:泣ける。少年にとっての塾、当時は「大人」に見えた先生、「大人」になってから窺い知れる先生の心情。尊敬、心配、郷愁、それでも他者である先生との微妙な距離。最後の締めもよい。諸行無常。

 2.初めての商売の話(借金玉/発達障害就労日誌)

 感想:2017年にかかれた、有名ブロガー借金玉の記事。これで彼のブログのファンになった。賢い少年が「社会」を知る、非常に普遍性ある話。彼の商才と社会の把握能力がよくでている。個人的には「昔は体制と戦うのがライフワークだったタイプの曖昧なおじさん」たちとのやり取りが大好き。「社会をよくしている人」は、いいひとである。


 3.京大・吉田寮で寝ていたら右翼に襲撃された思い出(わかり手/人類応援ブログ)

 いまはメンヘラ.jpの編集長として知られているわかり手の作品。ブログの作者を知る前からこの記事は繰り返し読んでいた。教育的示唆にも富んでおり、自分の生徒にも繰り返し印刷して読ませている。

 「外部」を受け入れるということは、面白い人も、有益な人も、また彼らのように明らかにヤバい人をも受け入れるということです。それにはすごく痛みを伴うし、またコストもかかります。でも、そういうコストを支払い続けるしか「外部」を取り入れながら文化を作ることはできない。
 本来の「大学」とはこういう組織です。大学とは自治組織であり、研究機関であり、なにより独自の文化を持つ「場」でした。その中で4年、5年、10年と清河も汚穢も飲み干していく中で、官僚が、学者が、法律家が、政治家が、所謂「エリート」たちが生まれてくるのです。
 オックスブリッジやパリ大学やモスクワ大学やイェール大学には、星の数ほどの左翼や右翼や環境活動家や宗教活動家や宗教過激派や何にもカテゴライズできない「謎の人間」たちが生息しています。

 感想:「大学」のあり方の「さまざまなひと」についての話。やはりこういった体験がないと、「社会について考える」ことは不可能だろうと思う。考えさせられる作品。

 4.僕がいたカルトのようなグループの話(きよねこ/削除済み)

 シェアハウス運営者の作者に「シェアハウス」を教えた、カルトグループ指導者の「ボッスン」の話。

 不思議な魅力があり、容姿は普通、デブ、それでも女性にも異性としてモテていました。
 風俗に行かせた女性たちは毎日出勤させられていました。生理であっても高熱であっても。その代わりバックとして25%もらっていました。女性の管理はできるわけです、何故なら住まいも確保して、しかもドミトリーから自分たちと一緒に住ませることで目の前で管理できるのです。その上、最も恐ろしいのはその女性たちが得た給料を全部もらっていました。もう一度言いますが、スカウトバックとして店から25%と、女性が店からもらっていた給料の全額をもらっていたのです。

 感想:3の記事と合わせて読むと「京大吉田寮にいそうだなぁ」という感想を得ることができる。こういうあいまいな社会は珍しいものではなく、イエスの方舟もそうだし、オウム真理教もそうだった。もっといえば、えらいてんちょうの実家もそんな感じであり、広い意味ではエデンなどもそういう向きがないとはいえない。さまざまな人類がおり、さまざまな社会があるという話。

 5.フォルカスの倫理的な死(枕目/カクヨム)

 ブログに分類できない気もしますが、カクヨムに投稿された短編小説です。2の作者の借金玉に紹介されて読みました。私は小説はほとんど読まないのですが、これはえらい秀作だった。

 わたしは目を閉じて、誰もいない自分の部屋を想像した。そこでフォルカスはゆっくりと動かなくなる。


 感想:村上春樹よりうまい。読みやすく、示唆にとんでおり、文章が美しい。ストーリーに一切の無駄がなく、また不足もない。小説に可能性を感じた一作。

 【まとめ】

 名作はオチがすばらしいなぁ、と書いていて思いました。「ほったて小屋とイエス」の最後、「倫理的な死」の最後は特にすばらしい。自分もこんな記事を書いていきたい。今日はおわり。

 
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